私は道産子ではありません。
関東の生まれです。
公立小でした。小6当時、仲の良い友達たちとはずっと「中学では一緒に野球部に入ろうぜ!」と話していたのに、全員が私立の中学へ行ってしまいました。
いつも仲間で放課後、近くの公園で野球をして遊んでいました。本当に楽しい時間でした。しかし、1人、また1人とお母さんが公園に迎えに来て、帰って行くのです。皆は塾に行くため、途中でお迎えが来るのです。毎日、最後に残るのは僕が独り。
僕は塾に行ってないからです。
しかし当時は何で塾なんか行くんだろうなぁ、かわいそうだなぁくらいにしか思っておらず、まさか卒業式前に仲間全員から、それぞれ個別に「同じ中学校に行けなくてゴメン、、」と告白されるとは考えてませんでした。
覚えている皆の行き先は早稲田、立教、海城、法政、日大付属、、、当日は何か聞いたことあるような無いようなくらいの感覚でしたが、でもそんなことは、どうでも良い。
裏切られた気分満載で、知らないってことへの絶望に似た悔しさというか、淋しいというか、もう子供なりのぐちゃぐちゃな感覚です。
そうです、僕は私立中学の存在を知らなかったのです。
僕は上記の仲間の告白を受け、後ろから突然頭をガツンと殴られた気分でした。もう皆と野球なんかしたくありません。学校が終わりダッシュで帰宅、母親に「どうして俺は受験をしなかったんだ!」と怒鳴りました。詰め寄りました。実は当時は(も)勉強は嫌いじゃ無かったのです。
母親は「だってオマエに言ったら、私立絶対受けるって言うでしょ、、」と、わけのわからん回答でした。ヒザが折れ、その場の床でものすごく大声で泣いたのを今でもハッキリと覚えています。でも、その時の淋しそうだった母の記憶も同時にあります。
「わけのわからん回答」と書きましたが、だいぶ後になり、具体的には大学受験の時に、まさにその明確な理由を知ることになります。家にお金が無かったのですね。
両親とも高校を出ていない、かつ共働きでした。私が小学生の頃、父は会社から帰宅後、ご飯を食べてすぐ飲食店へアルバイトに行ってました。母もパートを終えた帰宅後に内職を夜遅くまでやっていました。たまにお菓子詰めのようなものがあり、商品のガムを黙って大量に食べ、こっぴどく叱られたのを覚えています。
あの状況で私立中学は確実に無理だったのでしょう。
あの時怒鳴ってしまい本当にすまない。。
、、、と
こんな事があったから、息子に中受をさせるのかの質問に、答えは「NO」。
でも、まったく影響が無いと言ったら、多分嘘ですよね、、、とか思ってしまいました。
帰札の飛行機中で時間が合ったので、過去に浸りました汗
さて、また明日から息子と一緒に勉強をしよう。
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